19世紀後半になると、欧米列強はA資源や市場を求めてアジアやアフリカに進出し、これらの地域を植民地とし、軍事力を用いて、現地の人々を抑えて支配した。
同じころ、日本は欧米との対等な関係を目指して近代化を進め、B1894年には日英通商航海条約を結び、領事裁判権を撤廃した。
(1)下線部Aについて、このような欧米列強の動きを何といいますか。
(2)井上馨がとった、欧米の様式をまねて舞踏会などを開く政策を何といいますか。
(3)政府が上記(2)の政策をとった目的を簡単に説明しなさい。
(4)下線部Bについて、このことを行った外務大臣を答えなさい。
(5)下線部Bのあと、関税自主権を完全に回復した外務大臣を答えなさい。
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